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第57話 この不景気に思うこと

 不景気になると登場するのが、「この不景気をものともせず成長している元気印企業!」といったマスコミの報道です。
かたやどうしようもないような悲惨な状況をこれでもかといわんばかりの報道もあります。
 どうも両極端に走り過ぎているように思われます。インパクトの無い内容だと視聴率や販売部数に影響するとでも考えられているのでしょうか?

 ここではこのような極端なことではなく、この不景気を機に社会がかかえている様々な矛盾を考えてみたいと思います。

 以前、農業が議論されたとき、記憶によれば与党系の政治家だったと思うのですが、「海外に輸出できるような付加価値の高い作物を作れば、 中国や中東産油国に空輸したって利益が出るようになるし、現にそうしている農家だってある。」といった発言がありました。
 確かにそのような事例もあるのでしょうし、その主張を良い意味で解釈すれば、努力すれば報われますよといったことにでもなるでしょう。
しかし、全農業従事者がそのようなことができるかというと、それは不可能でしょう。圧倒的多数は、一部の成功者以外から構成されているのです。
 皆が競うように高付加価値作物を作付けすれば、安くて安全な農作物を一体誰が作るのでしょうか?
足りないものは外国から安く輸入して済ませれば良い、それが合理的なことでありグローバル化ということだとでも思っているのではないでしょうか。

 しかしながら、よくよく考えてみると社会活動が最大の利益を上げることが最良の目的であるということが問題なのです。 そしてその結果として、一部の高額所得者に富が集中していることが最大の問題なのです。 血のにじむような努力の結果としてその地位を築かれたのであればまだしも、濡れ手に粟のぼろ儲けであったり、詐欺的商売であったり、 ただ単に親から受け継いだものであったりといったケースも往々にしてあることでしょう。
 いみじくもこれらの事柄がボーダーレスに起こっているのです。即ち、グローバル化という言葉が象徴するように世界の富は一極集中し、その他大勢は搾り取られる存在に過ぎないのです。

 富を持つものは高価な農産物でも容易に手に入れることができるでしょう。しかしながら富まざるものは、それを手に入れることがますます困難になります。
そして圧倒的に大きい需要で、なおかつ必要なものは、安くて、美味しくて、安全な農産物なはずです。ですが、そのような農産物を生産する農家は当然の如く儲かりません。

 グローバル化の波は、農産物の輸入に拍車をかけます。このことで国内の農産物は輸入農産物との価格競争に晒され、国内生産量の低下が加速されてしまうのです。
このような状況の中でも農業が絶滅せずにいるのは、安くて高品質のものを身の回りの目の届く範囲に供給することが信条であり、最大の喜びとしている、いわゆる篤農家といわれる存在があるからです。
また、批判が多いにも係わらず減反などの農業政策(減反政策の賛否については議論のあるところでしょうが、ここでは踏み込まないことにします。)があったればこそと言えるのかも知れません。

 また農家は生産性を上げれば安くできる、努力が足りないからだと議論されますが、工業製品と異なり大量生産やコストダウンの努力をすれば生産性が上がるとは限りません。 自然そのものを相手にしているのです。例えば、病害虫から作物を守るため農薬を散布するのは、ある意味コストダウンの手法です。
無農薬で害虫から作物を守るためには、それこそ一日中作物に取り付く虫を採っていなければなりません。その人件費は誰の負担となるのでしょうか。
誰しも農薬にたっぷり浸った作物は食べたくないでしょう。かといって綺麗なキャベツと虫食いだらけのキャベツが並んでいたらどちらを買いますか。 真直ぐなキュウリと曲ったキュウリのどちらを買いますか。
そんな我侭な消費者のために誰が苦労して儲かりもしないことをやるでしょうか。
ましてや外国人に食べさせるためのものについては何をかいわんやです。事実、某国産の輸入農作物から禁止農薬や許容値以上の残留農薬が検出されていることはご存知でしょう。

 そして一般的な農作物は、工業製品などに比べても市場原理が徹底しています。ご承知の通り、青果市場のせりによって価格が決定されているのです。 (近年は更に悪いことに多くの取引は、相対(あいたい)取引で行われております。つまり大手スーパーなどが販売価格設定に応じて勝手に仕入れ価格を決めて取引 されております。)
工業製品であれば、製造原価に利益を乗せて需要動向をみながら生産者自身が価格を決定することが一般的でしょう。
農産物の場合には、これすら不可能なのです。トラック一杯の農産物が、それを出荷する燃料代にも満たない価格でせり落とされることもあるのです。
 出荷直前の農作物を廃棄処分する様子が報道されることがあります。丹精込めた農作物を泣きの涙で処分しなければならなかった農家の方々の気持ちがお解かりでしょうか。
今回の不景気では、同様の生産過剰(過剰在庫)が自動車や電機業界で発生しております。工場は従業員(非正規雇用を含む)を解雇してこれに対応しております。
圧倒的な富を持つ工場は、弱者を切り捨てて身軽になろうとしております。それに比べ、農家は全てのリスクを一身で背負わなければならないのです。
仕事がハードで儲からない上にリスクも大きいとなれば、なり手がなくなるのが道理です。
産科医や小児科医が不足していることの根っこは同じでしょう。

 理想、理念、信念、信条などが根底にあって、無報酬でボランティア活動をされている方々、看護士、介護士など重労働にも係わらず薄給に甘んじておられる方が大勢いらっしゃいます。 あるいは、身障者のための社会福祉施設を私財を投げ打って運営しておられる方もおられます。
 社会は一部の富めるものではなく、これら多くの職業の上に成り立っていることを忘れてはならないと思います。

 何時までも彼らの犠牲の上にしか成り立たない社会は、何れ衰退する運命にあると言えるのではないでしょうか。

 かつて景気・不景気は循環するという経済理論を学びました。株価なども見ても大小の波が重なりあって常に変動を繰り返しています。
「盛者必衰のことはりをあらはす。」かの隆盛を誇ったトヨタでさえも赤字に転落したということです。過去最高利益はつい先頃のことです。
このような時こそ企業の真価が問われると思います。安易な雇用調整でこの困難を乗り越えるのであれば、企業の社会的責任を逃れたといったそしりを免れることはできないでしょう。 輸出産業のために円安が誘導されたり、貿易不均衡の代償として農産物の輸入が促進されたりした事実を忘れてもらっては困ります。自社の都合だけで、他者を犠牲にしてもらっては困ります。
これは、多くの輸出産業にいえることです。
しかし、地道に努力すれば、何時の日にか必ず再び繁栄することも可能でしょう。それまでに社会的信用を失わなければの話ですが・・・。

 言いたいことは、儲けだけを追求すると農家や医師不足などと同様のこととなり、最終的には社会機能が麻痺してしまう可能性があるということです。
グローバル化すれば良いといっても際限がありません。結局は富の集中と貧困の分散が行き着くところまで行ってしまわない限り収まらないのですから。

 先述の元気印企業も成功農家の例も根っこは同じです。全ての企業が利益のみを追求すれば健全な社会が保てないことは明らかです。 これは日本が高度成長を遂げてきた過程において既に経験してきたことではないのでしょうか。そのために多くの規制が設けられたりセーフティーネットが張られてきたのです。
 現在の社会は過去の多くの犠牲者の上にたって、一歩一歩形成されてきたものなのです。
ただ、その結果として幾多の非効率が生じていることも事実です。これを解決するのは明らかに政治の役割です。

 利益を上げている企業や成功している農家は放っておいてもやっていけるのです。大切なのは、成功者以外をどうするのかということでしょう。 そして、利益は低いが世の中に役に立つものを作ったりサービスを提供している方々にどのような配慮を行うか、それこそが社会の役割であり、政治の役割なのではないのでしょうか。

 ついでに資源やエネルギーのことに言及しますが、世界の富は限られたものです。いくら資源大国と言ってもその資源は有限なものです。ただ現在はそれを産出できる過程にいるからこそ富を生み出しているかのように見えます。
しかしながら、それら資源は何時の日にか枯渇することでしょう。

 地球上では太古の昔から食物連鎖によって生物個体数が自然調整されてきました。人間の文明が生まれることにより、人が摂取する食物を増産可能となり、結果として人類の個体数が増加しました。 今や地球の食物連鎖全体に影響を与えてしまうような事態に立ち至っているのです。

 また、石油、石炭は過去の太陽エネルギーを地下に蓄えたものであり、このまま使い続ければ何れ枯渇します。また鉱物資源についてもこのままのペースで使い続ければ、 日ならずして枯渇してしまうことでしょう。 現代の大量消費社会はこれらの地下資源を短期間で使い果たしてしまうのです。
 唯一太陽エネルギーを利用して富を生産できるのが農業です。他の産業は、莫大な富を生み出すようにみえても過去の資源を食い尽くしているだけのことなのです。
太陽電池であれ風力発電であれ、その前提として原材料とその加工が必要です。そしてそのためのエネルギーが必要なのです。
 地球以外から調達しない限り、全てが枯渇した後に残り、富を生み出すことができるもの、それは農業です。そして、最後に残るのは農耕と狩猟をベースとした原始的な世界ということになってしまうのです。

 私たちにできることは、全てが枯渇してしまうことをでき得る限り先へ引き伸ばすことしかないのです。
人間の英知を傾注すべき時が来ていると思います。
人の英知は一朝に生まれるものではありません。先人による不断の努力と次世代への伝達によるものです。ですから知識を学び、自ら学び得たもの、到達した考えを他者へ伝えることが大切です。

 私はかつて(38歳の頃)青年海外協力隊に応募したことがあります。子供達が多感な時期でもありましたので、 家内から随分と反対されましたが、とりあえず一次試験まではということで受験してみました。
 というのももうすぐ40歳の声を聞くと自分の体力や気力の衰えも感じるようになりますし、開発者人生の先も見えてきます。
そのような時、通勤途中のラジオで募集説明会があることを知りました。何と39歳まで応募可能(青年の定義はそのようになっているようです。)とのことでした。 説明会に参加して、モンゴルとモロッコに私ができそうな職種(コンピュータ技術)があることを知り、最終的にはモロッコへの派遣に応募しました。
 結果的には二次試験で不合格になりましたが、自分の人生を振り返り、今後の人生を考えることができたことは有意義であったと思っております。 特に、人に知識を伝えていくことの大切さや喜びを知り得たのは大きな収穫であったと思います。

 この不景気で仕事を探している方で、国内で就業せざるを得ない状況におかれていないならば、海外での仕事にチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
実現できなかったにせよ38歳の私が擁いた夢のように、世界に向けて大いに羽ばたいてみませんか。
 私は今でもシニアボランティアに参加できるものならしてみたいと思っています。

「人は何のために生きるのか。」
人の役に立つことができることは無上の喜びであろうと思います。

<参 考>
第53話 景気浮揚対策案−「省エネ買い替え促進事業」
第62話 豊かさって何だろう
第66話 エコポイント制度にもの申す!
第73話 エコポイント制度にもの申す!−その2
第88話 農業ことはじめ

2009/02/27新規

2010/11/03更新


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